我が家の寝椅子に何人かの情人を招いたが、一番ふさわしいと思えたのは、東洋の小国からやってきた音楽家、いや、将来名の知られた音楽家になるという野心に溢れた青年だった。
彼は古く高貴な血筋を持っているそうだが、彼の口からそうと語られた事はない。
ただ、かれのしぐさや口ぶりから容易に察する事が出来たし、口さがない連中が、僕が尋ねるまでもなく色々と教えてくれていた。
彼の容姿や物腰の美しさに、初めて会った時から魅了された僕だが、それにもまして魅力的だったのは彼の中に見受けられる様々な要素だった。
傲慢なほどの自信と飢えたように何かに焦がれるまなざし。
人を逸らさぬ手慣れた社交性やもの柔らかな態度に反して、見え隠れする深い孤独の影。
老成した口ぶりに、時折見せる若く未熟な隙。
それら相反する事柄が彼の中に渾然となって彼を形作っている。
彼との会話はいつもユーモアとウィットに富み、ぴりっとした皮肉やいささかの毒を含んで、いつも満足させるものだった。
寝椅子
に押し倒した彼と僕と交わした警句の効いた口説き文句の数々は、今も忘れられない。
彼、ケイ・トウノインは僕のお気に入りのEin Liebhaberだったのだ。
「あなたはいつもこうやって相手を連れ込むのですか?まるでこの寝椅子にふさわしい装飾品を捜しているように見えますね」
「まあ確かにね。フェティストと呼ばれてしまっても否定は出来ないな。しかし僕には譲れないポリシーと美学があってね、それに合わせたシーンが見たいと思うだけなのだよ」
「悪趣味だと言われても?」
「君をここに連れて来た事で、趣味の良さは分かってもらえるだろう?」
「口説き文句としては使い古された陳腐なものに思えますが」
「良い台詞は何度使っても良いものさ。使う場所と相手を間違えなければね。ケイ」
赤い革に映える黒髪の彼と、恋の駆け引きを楽しむ。
平然とした顔をして言葉をやり取りしている合間にも彼の眼がうるみ、次第に情欲がきざしてくるのを見て取ることは僕の悦びだった。
ベッドの中の彼はすばらしく情熱的で、とてもタフで、僕はいつも満足以上のものを味わわせてくれるから、彼との逢瀬をいつも楽しみにしていた。
しかし、そんな蜜月にも終わりの時が来た。
僕が寝物語で近々仕事の都合で数か月間ベルリンを留守にすることになったと彼に告げたときのこと。
「いつ頃ベルリンに戻られますか?」
ケイが尋ねてきた。
珍しい。彼が僕のスケジュールを聞いてくるなどとは。
「そうだな。おそらく数か月。もしかしたらもう少し長く出かけて来ることになるかもしれない。帰ってきたら連絡するよ」
「それが、実は・・・・・」
ケイは自分も近いうちにベルリンを離れるつもりなのだと言い出した。
「帰国することになったのか?」
「いえ、イギリスへ行こうと思っています。今はあちこちに伝手を頼んでいる最中なのです」
そちらに移り住むことになれば会えなくなるだろうと、淡々と言ってのけた。
彼は欧州に音楽の修行に来ていたのであり、更に多くのキャリアを積む事が優先されていて、それに付随しない諸々の事柄は全て打ち捨てていくものだった。
僕との関係も他の相手と同様。あくまで互いの肉欲の楽しみのためであり、別れをためらうようなものではなかったのだ。
きっと次に行く地でもあっさりと情事の相手を手に入れる事が出来、そしてあっさりと別れることになるのだろう。
彼が望みさえすれば。
彼の別れの言葉を聞いた僕は、自分でも思いがけないほど気落ちしているのを感じて内心うろたえた。
とは言え、未練がましく別れを嘆いてみせるのは僕の美学に反する。
「次に会うときは、善き友人としてお会いしたい」
ケイが言った言葉に、内心はともかくも快く同意してみせ、淡々と別れを告げた。
彼が去ってから僕には何人かの相手が出来たが、あの東洋人の青年ほど心を残す者は・・・・・出来なかった。
彼の消息をさりげなく心の隅に留めていたという事は、つまり今も未練が残っているという証拠なのだろう。
彼はベルリンから英国に移動することなく、家庭の事情で急遽日本に帰ることになってしまったという。
僕と別れてすぐにどこかでセックスフレンドを見つけていたらしいが、その彼にもあっさりと別れを告げて帰国したようだった。
しかし彼が日本に帰ってしまったままでいるとは思えなかった。
指揮者として世界的な活動をするつもりならいずれまたこの欧州に戻って来るだろう。それを楽しみにしていればいい。
そして予想通り、数年後にはいくつもの華々しい情報が僕の耳に入ってきた。
彼は自分の望んでいた指揮者としての道を邁進しているらしく、国際的なコンクールに幾つか参加して金メダルを獲得していた。
その勢いのままに、ヨーロッパ、アメリカと各地でオーケストラを渡り歩いて指揮し、評判と名声を得ていた。
若手とは言え、それなりに名の知られた指揮者となりつつある。
また彼に会ってみたいと思う事もあったが、単に昔馴染みの善き友人として会うのは面白くなく、わざわざ再会の機会をつくるのも業腹で、自分から連絡をとったことはない。
それでも同じ欧州で活動しており、似たような社交界に顔を出している以上、会う機会は出来て来るものだ。
たまたまの偶然で、一度だけ出会った事がある。
しかし大きなパーティーの中であり、お互い社交辞令の挨拶と近況を教え合う程度で、再び二人の仲を復活させるような期待が持てるようなものではなかった。
もともと彼は僕に執着をもつほど親密には思っていなかったのだから、実際に出会っても簡単な挨拶をして通り過ぎる程度のものでしかなかったのだ。と、思い知らされた。
そんなある日。風のうわさの中に聞き捨て出来ないものがあるのを知った。
彼は今、最愛の恋人ができて、一緒に暮らしているという
僕が知っていた頃の彼は、誰か特定の一人と関係を結ぶよりも、その場の一番の楽しみを得るために多くの気心の知れた男たちと一夜の快楽を楽しむ事を選んでいたはずだった。
――― 自分もその中の一人に過ぎなかったとは思いたくないし、思わないが。
それにしても、彼に恋している多くの男たちの中から選んで、生活を共有するパートナーとして望むほどの相手とは、いったいどんな魅力的な男なのだろうか?